第1章 SP盤との出会い

SP音盤コレクターへの道
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今から40年ほど前、私はサラリーマンでしたが、大阪のアメリカ村入り口のオフィスで、週刊誌の広告デザインの制作を行っていました。
昼食はもっぱら、心斎橋やアメリカ村のカフェやレストランで済ませ、残り時間をウィンドウショッピングや、買い物をしたりして過ごしていました。大阪でも有数の繁華街ですから、最新のファッションや新しい店舗が集中する場所で、値段は少し高いものの、毎日違う飲食店を選んでは、さまよっている感じでした。

ちょうど御堂筋を挟んで大丸百貨店やそごう百貨店が目の前でしたので、時間つぶしにもよく出かけては、高級な商品に見とれていました。
そんなある日、大丸百貨店の催事場だったと思うのですが、SP盤販売セールが開催されていました。デパートが中古品を、しかも高級品ではなくて古いレコードなどを販売するというのが珍しくて、棚をざっくり見ました。洋盤が中心で、自分でもラベルをしっかり読まない限り、何のレコードかさえもわかりませんでした。それでも何か心惹かれるものがあり、それからの数日毎日昼食後に立ち寄り、結果的に70枚ほど購入したところから実は私の収集癖は始まったのです。
当時勤めていた会社は東京が本社で、新大阪に大阪支社があり、京都や神戸などにも営業所がありましたが、私の勤務先が大阪南営業所だったため、毎日のようにそ百貨店の催事を覗くことができたのですが、京都や神戸の営業所に配属されていたら、レコード盤収集などに目覚めることはなく、平穏な日々を過ごせていたかもしれません。

ところでなぜSP盤に興味を覚えたかというと、妻の実家で古い蓄音機をもらっていたからなのです。
妻の実家は古い家で、何かの機会に蓄音機があるということを聞いて、物珍しさもあってもらって帰っていたのです。
一緒にもらった鉄針はさびており、新品か使い古したものかどうかもわからず、さらにレコードは1枚もなかったため、蓄音機をせっかくもらったものの数年死蔵していたのです。
ですから蓄音機をもらってから、聞けない状態が続いていたこともあって、蓄音機から何でもいいから音を出してみたいという、安易な気持ちでのレコード物色が始まったのです。

私は1951年生まれで、小学校の運動会や学芸会で蓄音機やその音色に触れる経験があり、ゼンマイが緩むと音が低くなるとか、針は1回使用すると交換するというのを、先生から教えてもらって知っていました。
更に高校生のころ、地元奈良の著名音盤メーカーである、テイチクの廃盤が大量に捨てられているのを目撃したこともあり、なじみはあったほうだと思います。
SP盤に収録されているのは、当然古い歌ばかりですが、昔から親の口ずさむ懐メロを聞いていましたから、古い歌に違和感はありませんでした。
ところが、大丸のセールにはいわゆる日本の歌などはほとんどなかったと思います。

今考えても、誰に向けたセールだったのかさえもよくわからず、レコードのタイトルを真剣によんで、面白そうなレコードを選びました。
しかし1980年当時の1枚500~2,000円という価格は、現在でも決して安いものではなく、アメリカの希少盤やスイス、ナチスのマーチとか、外国版ばかり、少しは珍しいと思われる音楽を、乏しい知識で購入しました。それらは今では結構な値打ちかなとも思うのですが、コレクター初心者である私には、未だによくわかりません。
そのときにはレコード盤の状態が良いというだけで、12インチのクラシックレコードも購入していました。通常のSP盤は10インチが主流なのですが、大きくて安かったためクラシックの知識も何もないのに、聞いたことのあるタイトルや演奏家名を読んで、それだけで購入してしまったのです。

今振り返ると、ブック形式のものをばらしたものも多く含まれており、いわゆる珍盤でもないため、さらには演奏家が著名でもない場合には、価格などはつかないようなものだと思われます。
とはいえ、カザルス自身の演奏などの演奏しているものなどは、演者自身の解釈が聴けるので、まあ私にとっては大きな知的財産ではあると思ったのです。また割と程度の良いクラシック全集も1巻購入しました。
大きな12インチレコードが10枚ほどセットになっている立派な書籍タイプ革風の重厚な表紙が気に入って購入したのです。
しかし大丸さんでのレコード買いあさりは思いのほか短期間で終了しました。その理由は、重いこと。

心斎橋から難波へ出て、近鉄で奈良まで、その後バスで自宅のある地域のバス停まで、そのうえで歩いて自宅へと、移動距離がそこそこあったのです。
先のクラシック全集は、1冊で5Kgほどの重さがありまして、持ち帰るだけで一苦労。
ほかの10インチ盤も1枚240g程度で、枚数が増えると、やはり持ち帰りが大変でした。
当時は持ち運びできるレコードケースを持っていなかったので、毎回大丸さんで購入したレコードも、購入直後の喜びが、途中から重さに負けてしまい、電車に乗るころには疲れに代わっていました。また重いだけではなく、帰宅の満員電車で押し合いへし合いすると、レコードが割れる恐れもあります。
仕方なく、何とか乗れそうな快速急行があるのに、その急行よりも20分遅れの特急に特急券を購入して帰るなども何回かありました。

SP盤を購入するには体力、もしくは自動車が必要だとその時思い知らされたのです。
それでも苦労して持ち帰ったレコードは、何枚かは聞きました。
特に気に入ったスイングや、マーチ、漫談などは聞いたのですが、12インチのクラシック盤は、実は購入後40年を経たいまでもほぼ聞いておりません。
というのも、蓄音機でSP盤をかける最大の欠点は、音量が調整できないこと。
電気式のプレーヤーならボリュームがつているのですが、手回し式蓄音機は電気を用いないアナログな再生方法で、音は蓄音機やラッパもしくはサウンドボックスなどによって、左右されるのです。
ですから夜間などにはかけられません。結局は家族やご近所に気兼ねしてしまって(家族もSP盤を聞いて愉しむような者がいませんでしたし)

このとき購入したのは洋盤ばかりで、国内盤はありませんでした。そこで歌っている意味がわかる日本語の歌謡曲などを探そうという気持ちになりました。ところが当時はインターネットがあるわけでもなく、骨董品を漁ったこともなく、人づてに京都の東寺で開かれる市には、骨董品屋がたまに蓄音機やレコードを持ってきている等と教えてもらったのですが、わざわざ行くほどの熱心さはありませんでした。
また地元で買い物に出たときになど目についた、地元のいくつかの骨董品屋を巡ったのですが、少なくとも奈良の骨董商にSP盤は置いていませんでした。

第2章 高くは売れないSP盤
SP盤に関するエッセイです。SP盤を取り巻く環境につて簡単にまとめてみました。 コレクターもさほど多くないし、古いモノだけにそれなりの苦労もあったりするのです。

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